か、とぅーん備忘録

情けなさも恥ずかしさも 全部見せて歩こう

神が死んだ日

タイトルきも。

かなり穿った見方してたり、長いだけ。

ただの趣味に考えすぎ。気持ちのいいもんじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

<死んだ>

 

私の神様が死んだ。

死んだというか失った。勝手に殺すな。

 

まさか自分がこんなにあっけなく無くすとは思わなかった。

きっかけはあれど明確な理由はない。

 

なんていうか、じわじわとチリツモ的に来たんだと思う。

色んなことが重なった気がする。

 

 

担降りブログを書くのがずっと夢だった。

 

書いたことなかったから。

自分の友達は、もっともっとすきな人を見つけてみんな降りていったから。

 

私も負けないと思うくらい新鮮にすきだったけど。

 

 

担当への気持ちがある日突然スッと冷めていった。

 

なんていうか、あの胸の冷える感覚をすごく覚えていてかなしい。

虚しい。

 

去年の入所記念日、11/8

その日をお祝いしたときは確実に今まで通り大好きだったし担当の入所を今でも祝えること、うれしかったし尊かったし感謝した。

 

来年もこれからも祝わせてほしいと思った。

 

でもそのあと急に、私は何をしているんだろうと思った。

 

 

大体、担降りないしヲタ卒の要因って

・もっと好きなタレントが出来た

・別界隈(アニメ、俳優、声優、アーティスト、バンド、他アイドル、ユーチューバー、ダンサー、ホストなど)に推しができた

・彼氏、結婚、妊娠、出産を機に

・リアルが忙しいのでその流れで

・他にやりたいこと、お金を使いたいことができた

・なんらかの理由で担当が嫌いになった

こんな感じかなと思う。

 

↑のステップから茶の間とかゆるヲタ的な感じになる人もいると思う。

 

 

私は上記の中にピンとくるものはなかった。

別に他の人やものにハマったわけでもなく、嫌いになったわけでもなく(むしろ好きとすら思う)、仕事の環境も住まいもなかなか気に入っているし、結婚しても好きに公演に行けているし、家事も割と適当、子どももおらずもうヲタクが生活の大部分で人生の一部だった。

 

 

最初は何が自分の感情をこうしているのかわからなかったし、漠然としていた。

 

 

その前の年に35歳の誕生日を祝った時がはじめての予兆だったかもしれない。

 

30代後半に差し掛かった担当をお祝いしたとき、なぜか急に「40歳の誕生日は祝ってないかもしれない」と思った。

 

何回も本人不在のお誕生日会に付き合ってもらっている友達と祝っていた。

その子に「お祝いするの、何回目だろ?」と言われた。

そう言われた時、この先のことが過ったんだと思う。

 

知り合った頃はろばまるが25歳のお祝いの年だったよね。担当が25歳になった時のことはよく覚えている。と私が言ったら「私も!当時はもうアラサーじゃんって思って悲しかった(笑)」とその子が言った。

 

その時は四捨五入で三十路って私も担当のことをいじっていたし、自分の将来のビジョンなんか何もなかったし、自分だけじゃなく担当も歳をとるなんてこと考えてもなかった。担当が32歳くらいになってやっと、「あ、担当も歳を取っていくんだな・・・」と感じた。

 

自分も歳を取ったし、自分がその時までヲタクしてるなんて思わなかった。

 

でも、なんやかんやで、友達はみんな降りているといえど古株の人なんてたくさんいるし、自分の親やそれ以上のご婦人の方々もたくさんファンにはいるから自分もこのままそういう感じになるのかなぁなんて思っていた。

 

 

<ヲタク像>

 

ヲタクしているうえで【こういうヲタクにはなりたくない】というファン像が個人的にはあった。

 

①担当が自分の理想像と離れていったからといって愚痴を頻繁に垂れ流す人

降りる直前に降り先の子と比べてこれをする人をたまに見る。なんでもかんでも許容しろということではないです。

②今まで長年追いかけてきたという執着・プライドで続ける人

③誰かに負けたくないという気持ちで追いかけている人

上記二つはいつも何かと戦っていて攻撃的な場合も多いので見てるとこっちもメンタルにくる。ギャンブルで引けなくなってるときに似てる気がする。

④見返りを過多に求める人

全く求めるなというわけでないです。

⑤評論家目線

制作側のメッセージ性を読んだ考察とかは好きです。

⑥無銭での応援のみなのに文句だけは言う人

⑦担当が好きという気持ちよりコニュニティにいるのが気持ちよくて続けている人

どこも悪くないのに病院の待合室に喋りに来ちゃうおじいちゃんおばあちゃんみたいなイメージです。

 

別に応援の仕方は個人の自由だし、上記が全部ダメとかそういうことではないです。

要するに好き<その他の目的・感情になったら嫌だなと私が個人的に思ったのです。

好きだからファンでいる、ただそれだけのシンプルで当たり前な感情が他の感情や副産物に負けることがあればすぐに身を引きたかった。

 

ここまで好きになった人だし、終わる時がもし来るならどんな理由でも綺麗に終わりたい。そういう美学があった。

 

乱暴な言い方をすれば、好きという感情より①~⑦が勝っている(と私が勝手に感じた)人を見るとダサいなぁ、もう身を引くべきなんじゃないかなぁと思った。

 

逆に好きという気持ちが大きいんだなと感じる人はすきだなと思った。

 

だからここ何年かはちょっとでも「まだ好きなんだ」「執着だけになってない?」「若手の方が良くない?」みたいなニュアンスが含まれることを言われたりした時は常に自分の気持ちを確かめていた。

 

大丈夫、まだすきだ。全然だいすきだ。すきすぎてつらい。

 

こんな確認をしている時点でダメな気がする。

 

前述の「40歳の誕生日は祝ってないかもしれない」と思った時から、「来年もお祝いするね」じゃなくて「来年もお祝いさせてね」と思うようになった。

 

「ずっと好き」が「ずっとすきでいさせて」になったし

入所日もデビュー日も「これからもお祝いするね」が「これからもお祝いさせてね」になった。

 

自分の気持ちに疑念が出てきていることが薄々わかってたから、これからも好きでいたいから、ファンでいたいから、自分を冷めさせないで魅了してほしい的な自分勝手できもちわるい願望があった。書いてて情けない。しぬ。

 

前は何をしてもカッコよかったし尊敬していた。

 

考えるもの、創るものは全部天才のそれだと思ったしなんてハイセンスな人なんだろう!と毎度惚れ惚れしていた。

 

でもだんだん「なんでその演出にしたの?」「なんでこれやらないの?」「なんでそのセトリなの?」「なんでその衣装なの?」「なんであの時その発言したの?」「なんで?なんでなんで?」みたいなことを思うようになった。

 

ショーだけじゃなくてテレビを見ても、立ち振る舞いなどに「芸歴20年超えてるのに・・・」みたいなマイナスな見方をすることや、他メンバーと比べたりすることが増えた。

 

本人の言動が気になるだけじゃなくてグループが置かれている境遇や、それに対するファン全体の姿勢(と私が勝手に認識した風潮や一部の人)とか、なんだか全部が気に入らなくなってきた。

 

「担当、なんか指向変わった?」

 

違う。

 

私がそういう見方しかできなくなったんだ。

 

もう担当と担当Gのターゲット層じゃなくなったんだ。

 

自分の求めるものとか好きなものはもうそこには無いんだ。

 

この先そうなるビジョンも見えなくなった。勝手に。

 

 

おごがましくもその境遇を作ったのは自分なんじゃないかと後悔したり、こんな感情を抱いて後ろめたく思ったりする時がある。ただの端っこにいるのかいないのかもわからないいちファンなだけなのに。

自分の年齢的なものと担当の年齢的なものと、お互いの取り巻く状況と、すべてのタイミングが重なっていったんだとも思う。

でも、やっぱり担当はなんにも変わってなくて私が変わったんだろうな。だって担当もグループも素敵なままだから。

 

気づいたら私は一番なりたくなかった【こういうヲタクにはなりたくない】というヲタク像をほぼコンプするレベルに達していた。哀れ。惨め。

 

 

 

 

 

<10Ks>

 

私は同G担の友達より他G担、Jr担の友達が多い。

 

教祖や神が同じでも宗派が違えば一緒にいるのはつらいから。

 

宗教で例えるのを嫌う人には申し訳ない。

 

KAT-TUNというグループは事務所全体で見ても異質なグループに思う。

 

こんな魅力的でイケメンで高クオリティなグループなのになぜみんな他にいってしまうの?と思っていたが冷静になれば普通よりも離れるきっかけや隙は、どのGもなにかしらあるにしても多かったんじゃないかと思う。(それがメンバーの不本意だとしても)

 

でもそれ以上に得るものも多かった。

 

いや、経験しなくていいことをメンバーもファンも経験したとは思っているけど。

 

皮肉にもどんどん綺麗になるからすごいと思った。

 

SHOCKでも傷ついた分だけ美しくなる的なこと言ってた(うろ覚えが過ぎる)。

あそこは泣いた。(泣いたならちゃんと覚えてろ)

 

 

 

10周年のコンサートのオーラスは一生忘れないと思う。

 

不本意な形でのツアーになってしまった上に、直後に期間不明の充電期間に入ることが決まっていた本来ならもっと違う形で迎えるはずだった10周年ツアー。

 

 

あの高揚感は、人生でもう二度と味わえ無い気がする。

 

 

あんなにファンと、ファンとメンバーに一体感を覚えたことない。

 

みんな大泣きして何度も何度もアンコールしたしすごい熱量だった。

メンバーの熱い感情もすごく伝わってきた。

 

思い出してる今も・・・色々やばい。

 

あの高揚感の中ですごく思ったことがある。

 

ただあの公演に入っただけじゃあんな気持ちになれなかった。

ずっとずっと好きでいて、思い入れも思い出もたくさんあって、その日を迎えるまでの気持ちとか、これからへの気持ちとか、楽しさ悔しさ不安大好きだって気持ちが全部あそこに集まってぐちゃぐちゃになったんだと思った。

 

「途中で船を降りてしまった人もいる」ってメンバーが言ったから、余計思った。

 

あぁ、途中で船を降りた人はばかだなぁって。

 

それくらいのすごい高揚感だった。

途中で船降りたけどすごく感動したよって人ももちろんたくさんいるだろうから、不快に思ったら申し訳ありません。でも私はその時そう思ったんです。

ずっとついていくって再度思ったし、あんな公演を経験してしまったら降りることも辞めることも無いと思ったし、またこんな一体感を、多幸感を味わえるなら・・・と思った。

 

なのに。

 

 

担当への気持ちが無くなった時、真っ先にそれを思った。

 

 

15周年はもうあの時と同じ気持ちで祝えないんだ。

 

 

今は気持ちがついていかなくても、そのときにはアッサリまたヲタクに戻っているかもしれない。

でも、それでも、それじゃああの時のような気持ちにはなれない。

 

今こうなっちゃった時点で、それじゃダメなんだ・・・。

 

そう思うとすごく悲しくて、虚無で、今までたくさんの恩恵を受けたのに、救われたのに、何故私は恩を仇で返すんだろう?と自分が情けなくて嫌だった。

 

 

 

<喪失感、虚無>

 

タイトル通り担当は私の神様だった。

 

それだけじゃなかった。

 

神様で、教祖様で、王子様で、好きな人で、担当で、推しで、アイドルで、一番で、趣味だった。

 

神様で、教祖様で、王子様で、好きな人で、担当で、推しで、アイドルで、一番で、趣味、一気にすべて失った。

 

圧倒的虚無。虚無虚無の虚無。虚無でしかない。

テレビは苦しくなるから見るのをやめた。何か月もレコ整理してなくてずっと容量空きなしのエラーが出てる。

webも半年以上見てない。webもインスタもラインもそのままだからたまにメンバーからのメールとか、レギュラー番組の告知を目にする。そこで番組さんが載せている写真で顔を見るのがほぼ全てになってきた。イケメン。この銀河系一番のイケメン。

 

去年のツアーDVD(Blu-rayか?)も、フラゲしてるのにまだ結局パケすら開けられていない。

本当はすごく見たいし、見たくない。

 

趣味も他にこれといってない。

全く好きじゃなくなったわけではない。むしろ大好き。

でもとにかくもう担当じゃ負の感情が沸いてしまうので癒しを求めた。

もう、このまま好きでいても自分にも何にも良い影響なんて無い害悪なファン(ですらない)なんだ・・・。

 

12月とか狂ったようにおじゃる丸キテレツ大百科を延々と見てた。

 

 

<周囲の人に言われたこと>

その①「違う推しをつくろう」(by職場の人)

 違う担当を作ろうと思った。

アイランドTVでかわいいな、応援したいなと思う子を見つけた。

少年収に行った。一番かわいかった。一番ダンスがうまかった。

そのあとようつべのJr.チャンネルでその子のいるGのレギュラー枠も貰えた。

癒される。

 

でも、超えてこない。

すきだけど、茶の間で見てるくらいがいい。

といっても基本その子はあまり映らないし、パフォが見たいから現場にいったりもした。

 

結局その子のファンどころか、茶の間ですらないなと思う。

動画も、大体は公式垢のURLツイートのサムネ見ただけで満足してしまう。

 

そもそも前にも一度他のJrの子にハマったことがあった。

 

その時はシンプルにその子がすきになって担降りするかもと本気で思ったこともあったけど、すごくその子も良いところがたくさんあったんだけど、やっぱり自分の中で担当以上にはならなくて、なんていうか、その子に会ったあとは担当に会いたくなった。

別の現場だから当然なのに、今日コンサート行ったのに担当いなかったな。とか考えてた。

 

担当と同じくらいか、それ以上の熱意が無いことがハッキリとわかる。

 

そう思うと時間もお金も労力も割けなくなる。

 

特にここ最近、時間の浪費が精神的に堪える。

 

別にそれがなくたって、家でゴロゴロしているだけなのに。

 

ヲタクをしていると時間を浪費したのに、なんの成果も得られませんでした!という現象が多々起きる気がする。

例えばグッズ列に長時間並んでお目当てのグッズが売り切れる、とか。

 

もちろん今まではそれが無駄なこととは思わなかったしそうしてる時間も楽しかった。

戦わなければ勝てない。そういうのも醍醐味に感じていた。

 

どうして楽しくなくなったのかな。

 

よく「アイドルオタクは冷めた時なにも残らなくて後悔するからやめとけ」みたいなことが先人に言われているがそういう気持ちは一切ない。

 

多感な時期から好きだったから人格形成にも関わっていると思ってるし、ヲタクをしてたから得た友人、交流、知識なにより楽しかった時間がある。

 

むしろもう今まで熱意や気持ちが湧いてこないのが悲しくてしかたない。

 

 

突然だが私は担当にリアコである。

担当以外の子を見てるとき、その子にはリアコではないので良い意味でも悪い意味でも心がすごく穏やかだ。

リアコという感情うんぬん抜きで熱意が無いだけかもしれないが、ムキになったり他のファンとの解釈違いで腹を立てることもほとんどない。

特に自分と歳の離れた若年層を見ていると、なんでもかわいくて、なんか頭が空になった気がして楽に見れる。

 

「母親目線か?」ってファンにキレるたちゃんすきw

 

 

担当を見るのは、思考も感情も浪費する。

 

ちょっと前までは、結局はかっこいいかわいいイケメン無理しんどいの語彙なし脳死だったのに。

 

 

 

その②「会えないから冷め期なだけでは?今は距離を置いて、次の現場入って決めよう」(by友人)

 これは今まで干からびそうとは思えど冷めるということはなかったのでうーん・・・と思った。

そもそも現場が無いということがあるあるすぎるし・・・。

 

あと、もう気持ちが無いかもしれないなどとほざきながら現場が決まったら手のひら返しでデレるというのは不誠実ではないか?もしくは結局はその程度まで気持ちが無くなっているも同然ではないか?と言ったら、言いたいことはわかるが誰に対してのアピールなんやそれと言われた。

 

とりあえずはこの考えでいようと思った。 

しかしコロナの影響もありこれもしばらくは叶いそうになく、現時点で友人に相談したと変わって様子見の気持ちもなくなってきた。

そしてこのブログを書いているに至る。

 

 

 

その③「年齢的に落ち着いただけでは?何故無理に離れようとするのか。自分のペースでやれば」(by兄)

正論。

でももう無理。

すきだと満足いくまで会いたい()し、色んな媒体で見たい。

でももう以前のようにすきな気持ちだけで見れない。

 

好きになってからずーーーーーっと何年もコンスタントに一番高い熱量を維持して追いかけ続けたとか、全然そんなことない。

 

でも私はゲームにハマったら睡眠時間をけずってやってしまうし、漫画にハマったら全部読むまで何も手につかないし、お酒はいまだに飲みすぎるし、腹八分目が出来たことないし、いい歳して自分のコントロールができなすぎる。好きなことに節度を持てない。

極端なので0か100かみたいなことばかり考える。

 

 

人を好きでいるのって体力いる。

 

好かれるほうも体力使うだろうけど。亀梨くんがよく「ライブはセックス」って言ってる。本当に体力の行き来だと思う。別に対人じゃなくてもそうか。

 

このチャンスを逃したらヲタ卒できない、ヲタ卒したいという自分と本当はずっと好きでいたいと思う自分が拮抗している。

 

 

その④「勉強やスキルアップをしよう」(by上司)

これは一番有意義だと思った。

今まで仕事は食べる手段としか思ってなかったけど、最近仕事って楽しいなと思う時がある。

ヲタクじゃなくなってからは、今非正規なので就活とかアリだなと思ってそういうことも視野に入れていた。

 

まぁそれもコロナで難しくなったのでやる気があるとき勉強できたらいいなぁ(願望)(脱線)。

 

 

その⑤「どうせ辞められないよ。」「好きなの辞めないで」(by夫)

これが一番意外だったし一番かなしかった。

最初の頃は「また好きにならないの?」とか「一緒に冠番組見よう」って言ってくれたんだけど、そういわれるのが本当にしんどくてもうそれ言わないでと言ってしまった。

 

「私が他のタレントのファンになったらどう思う?」と聞いたら「嫌だけど応援する」って言ってた。

実際は、口出しはされないものの一緒にメディア見るのを嫌がられたりKAT-TUNの時と対応が全く違うので夫もKAT-TUNがすきだったのかもしれないw

 

 

 

<何を言いたいのかわからなくなってきた>

なんでわざわざ周りに宣言するのかというと、私はどの場でもヲタ隠しをしていないので知人はみんな福岡に行けばアミュの写メをくれるし、テレビを見れば感想を言ってくれるし、CMで見れば褒めてくれるし、ベビワセリップを配布すればレビューをくれるし、とにかく色んな話題を振ってくれる。

一緒に遊んだり公演に入ったり、それだけじゃなくてグッズやチケットの協力も今までにしてもらったりとにかくお世話になっている。

 

そういう優しい人たちが、私がもう気持ちが離れてることを知らずお話してくれたり連絡をくれるのが心苦しくなった。

 

嬉しいことにこういった相談(?)をしたとき「降りても卒業しても友達でいてね」みたいなことを言ってくれる子がいる。優しい。女神・・・。

でも、非ヲタになった私と話してもおもろいこと無い気がする(卑屈すぎるかもしれないけど趣味だけで繋がっていた関係なので気になってしまう)し、何より今のなにも無い私にはすきな人に熱中している姿はまぶしすぎる。

 

担当と共演とか、しなくても、絶対担当やグループのことがちらつく時がくるだろうし、自分が知らないことも増えていくことが虚しい。

 

今、人生に強いられるものも特にない。

人生にメリハリがなさすぎる。

他の趣味を早急に見つけようと服を大量買いしたり美容院に複数回行ったり授業系のユーチューブ見たりしてた。

在宅になってからはずっとあつ森ばっかしてる。

最近妹が全然ログインしなくなってきてつまらない。

 

 

<今後>

だらだらワーワー書いたけど、結局また好きになったりするかもしれないし、今までの熱意は戻らなくてもしれっとコンサートや舞台に行ったりしているかもしれない。

現場は行かなくても、円盤は買ったりするかもしれない。

 

全然違う人のファンになるかもしれない。

 

でも、現時点ではもう自分は「ヲタクじゃない」し、散々担当という言葉を使ったが担当ですらない。定義とか知らんけど感覚的に自分でそう思う。

 

こんなに長々書いたのに言いたいこと全部書けてない気がする。

酒飲みながら一生この自分語りできると思う。

全然綺麗に黙って離れられてないな。ださ。

 

これからグループや本人になんかあった時とか、状況が変わったとき絶対後悔するんだろうな。

 

15周年祝いたかったな。

 

デビュー日すらお祝いしてないや。

本当はこれからもずっと3/22を、11/8を、9/4をお祝いしたいのに。

 

いや祝えばええやんって話なんだけどね。

 

中丸くん今まで本当にたくさんありがとう。

勝手にすきになって勝手に離れてごめんね。ずっとすきな人。

生まれ変わってもまた中丸担やりたいです。

 

 

まじポエム。はいはいエターナル。

 

 

ガチャン、ツーツーツー